SBIが新生銀に同意なきTOB (元金融庁長官が会長候補)


日経新聞の令和3年9月10日付記事です。前日、同紙はSBIによる新生銀へのTOBを報道しました。また、金融庁がSBIによる銀行株式20%超取得に対する主要株主認可を出したことで銀行界に激震が走りました。地銀連合構想を推進するSBIが、ついに牙を剥き、それを金融庁が後押しするのかとの強い警戒心が銀行界に充ちています。

SBIが進める弱体地域金融機関をまとめて再生しながら新たなビジネスモデルを追求する戦略や、弱体地域金融機関の受け皿確保と株価改善による公的資金の回収を望む金融庁の思惑が合致したということなのでしょうか?いずれにせよ、持続可能性が確信できない金融機関に対して、本気で変革しないと存続は難しいし、自然死はないよというメッセージに見えます。確かに、TOBをかけられる側からすれば、上場を廃止してしまえば、TOBから逃れられるかもしれませんが、それが顧客のメリットになりつつ、存続できるかの問題とは別です。

筆者は昔から、地域銀行は非上場化を諮り、短期的利益至上の株主による煩わしい圧力から自由になり、地域や顧客の為の銀行に特化したらどうかと提案しているのですが、実施する地域銀は皆無です。株式市場再編も考えると、まさに非上場化を進めるタイミングになったと思います。と同時に、金融庁が資本論理に寄り過ぎたとの懸念も出てきます。公的資金注入の際に、敵対的TOBなんて条件が合意されていたのか?資本主義による格差拡大や不公正・不公平に対する見直し機運が高まっているこの時期に、敵対的TOBで地域銀の再編を進めるのか?と思うのです。こういう時、地域基盤を持たない新生銀は辛い。味方が少な過ぎます。

金融庁やSBIの思惑、資本主義への反省といった議論はさておいて、資本論理先行企業と地域や顧客第一を理念(少なくとも謳い文句として)とする地域銀行のビジネスモデル統一が可能なのか、特に産業文化の違い(証券と銀行)に絞って考えてみたい。

大分昔の話ですが、大手銀行と大手証券が同じ企業グループに近いということで合弁で新たに証券会社を創りました。その設立プロジェクトに参加を要請され、ビジネスモデルや各種戦略案の議論に同席したのですが、なんとも言えない沈痛な雰囲気の会議ばかりでした。規模の大きい方の銀行は、やたらと机上の(理論的には正しい。)案を並べたてます。それに証券側が否定的な意見を述べると、銀行メンバーから集中攻撃が起こります。証券メンバーは黙ってしまいます。会議後、本音を聞くと、証券側は銀行案ではとても自社側社員は機能しないと言います。銀行側に聞くと、自分達の案通りにやるのが当たり前で、それ以外は認めないと言うのです。

これでは、とても共同事業などできないと思い、両社のトップに足して2で割る方式は駄目だが、もっと双方が納得する率直な議論をしないと、この合弁は失敗する。会議のやり方と意思決定の仕組みを考え直すべきと提言しました。両トップは予想していたようで、即座に事務局に丸く収めるように指示しました。しかし、抽象的な指示だったので、両事務局はただ話をまとめるだけに集中しました。結果は当り前ですが、形式的な協業となって成果は上がらず、しばらくして合弁を解消しました。理論で打ち勝っても何の解決にも進展にもならず、逆効果だという教訓でした。さりとて、以前からのやり方を踏襲するだけでは、合弁などの協業を通じても改革になりません。理屈と心情的な同感をいかに両立させるか、それが課題だと痛感した次第です。

今年5月にSBIが大東銀行に事前連絡なしに同行株17%を取得しました。6月にSBI経営戦略報告会で北尾社長が「最大株主になっても大東銀行から何の挨拶もない。無礼極まりない。このままなら、次の株主総会で全役員に反対票を投じる。」と語ったと報道されました。いかにも証券出身者です。これを読んだら、いくら銀行の未来に危機を予測し、みずからの資金と技術と政治力で経営変革、業界変革を推進しようとしても、味方になる銀行は限られると思った次第です。余りの資本論理と相手を見下した台詞をメデァイ経由で発するとは、到底、銀行文化とは合わない。このやり方でも従う地銀は、余程困っており、反発する気力も体力もないと思うのが自然です。多くの銀行マンは、協業する相手にも品格を求めます。北尾さんにとって、どうせ生き残れない銀行だから、どうでも良いということなのでしょうか。

新生銀行が長銀だった1990年代末ですが、「21世紀の長銀を考える。」というプロジェクトが発足し、筆者もアドバイザとして参加しました。事前に、メンバーが作成したSWOT分析の結果を見て、余りに自己中で表層的なレポートだったので、「長銀に21世紀はない。」などと非難した記憶があります。最終的には、実存する多くの問題課題を解決するよりも、新たな姿を思い浮かべるだけの報告になりました。その直後に私も保有する長銀株は紙くずになりました。後日、同行の検査を行なった大蔵省検査官と話をしたことがあり、長銀について議論となりました。この検査官は「あれは、銀行ではなかった。」「銀行としての矜持もなかった。」と言っていました。勿論、具体的な中味は一切してくれませんでしたが。検査官として、問題点を指摘するだけの立場に、強い挫折感みたいなものを感じていたように見えました。

今の金融庁は育成庁になると言います。その育成には時間の制限があるようです。育成に耐えない銀行、またはその経営者は見限るというのが、新たに加わった育成方針なのでしょうか。

2000年以降、いろいろな新設銀行や地域銀行で長銀出身者と会いました。筆者自身も長銀出身者を二人ほど中途採用しました。いずれも専門知識を持った優秀な人材です。彼等に聞くと、同期の殆どが新生に残らず転職した。その人達は会社が異なっても横で繋がっていた。それが最も威力を発したのがリーマンショックの時です。危機を感じた長銀出身者達は連携して、所属する金融機関に警告を発し、迅速に対応したことで被害を小さくできました。いまでは、こうしたスキルや情報の共有は弱まったでしょうが。

今の新生銀行員が、SBIのような全く異なる企業文化の企業というか経営者に強権的支配を受けるとすれば、優秀な行員から大量に転出することは間違いありません。そんな長銀に地銀連合を取りまとめる力が残るでしょうか?昔のような長信銀の方が地域銀より格上という時代ではありません。SBIが持つという金融IT技術力などいくらでも代替手段も調達先もあります。SBIの求心力は金だけではないのか?

筆者の目から見ると、今回の件は純資本論理と半分社会主義的論理との衝突かと思います。筆者はわが国地域金融機関の特徴は社会主義的経営だと思っています。その個々の地域銀を残す残さないとか、仕組みが儲かる儲からないとかの基準ではなく、新生銀の皆さんには、お客にとって、株主にとって、行員にとって、そして社会にとって、何が一番大切なのかを見直して、自らの立ち位置を決めることが、ご自分の人生を悔いなきものにする筈だと思います。

 

                           (令和3年9月13日  島田 直貴)